データ解析は、もともと手持ちのデータが限られていることもあって、2週間弱いじりたおして、大体の結論は見えてきた。今やっていることは、入学前にやってきたことのまとめに過ぎないので、一日も早くpublishまでこぎつけたい。おそらく、今買いてる論文のdiscussionで課題として残ることが、次のフィールドワークで取り組むべきことなのだと思う。
大学院時代、授業やゼミで鋭い発言をする院生がいる中で、いいコメントや質問ができない自分の頭のトロさに失望してたんだけど、ある先生が「頭の回転が速いのと、研究ができることは別」と言っていて、すごく安心したのを覚えてる。私が研究できるかは別として、研究を続ける意欲を持てた。
— eriko oshima (@erikooshima) 2019年6月10日
今日TwitterでTLに流れてきて気になったツイート。私も相当に頭の回転が遅く、リアルの会話・議論はおろかSNSの中ですら、リプの返事に何日もかかってしまうこともあるほどだ。(なのに博士課程であるがゆえに、ゼミでは真っ先に後輩へのツッコミをしないといけない辛い立場になってしまっている…)
「ある話題に対して、相手の意図を汲みつつ最もクリティカルな指摘、意見、共感ができる」という人は、これまで幾度となく出会ってきて、本当にうらやましいと毎回思ってきた。自分はどこに行っても会話の主導権を握ることは苦手というか、相手に投げた会話のボールが帰ってくるときに、それを的確に受け止められないのだ。
それでも10年くらい前と比べたら、本当にひっかかった言葉だけは、自分の中で何度も何度も何週間・何ヶ月・何年もかけて反芻して、自分なりに消化できるようになってきた気がする。それはきっと、相手の頭の中にあるであろうイメージと自分のもっているものとの齟齬をちゃんと説明しようと(本気になれば)するようになったということや、相手の知識とのギャップに屈しなくなってきたというのが大きいのだと思う。それでもやっぱり、本当はリアルタイムで会話を交わせるのが一番良いわけで、自分の至らなさを申し訳なく思う機会はやはり多いのである。
そういうわけで、”人に流されやすいけど頑固”という、我ながら面倒な性格との折り合いについて、ちょっと考えを巡らせたのであった。